『バッハ ― 音のあはひ』崎川晶子(チェンバロ)








『クープラン家~幸福な思い』崎川晶子(チェンバロ)

道下京子(ショパン2020年9月号)
崎川晶子は桐朋学園大学ピアノ科を卒業後、パリの古楽コンサルヴァトワールに学んだチェンバロ奏者。多くのCDをリリースしているが、なかでも渡邊順生との「モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ」ではレコード・アカデミー賞を獲得している。
今回はフランスを代表する音楽家一族であるクープラン 家に光を当てた。このアルバムに収録されているのは、ルイとその甥フランソワ、そしてフランソワのいとこの息子であるアルマン=ルイの作品。使用したクラヴサンはクロル(1776年製作、2008年修復)。ルイ作品では壮麗な音空間を大らかに創り上げ、フランソワ作品においてはデリケートなエクリチュールを丁寧に描き出す。そしてアルマン=ルイ作品では微細な色彩の変化とともに、様々な表情を見せてくれる。しっかりとした指の持ち主で、安定した演奏から生み出される変幻自在な表現は素晴らしい。

東条碩夫(ステレオサウンド2020年秋号)
「爽やかで、きらきらと光る音色。音像が柔らかさをもって響いてくる」 実に爽やかで、しかもきらきらと光るようなチェンバロの音色だ。音像は適度の拡がりと距離感を備え、刺激的にならぬ柔らかさをもって響いてくる。
昨年8月下旬に、フランスはパリ郊外、ヴィラールソー城にあるクロルのチェンバロを使用して録音された、クープラン 一族の音楽を集めたディスクがこれである。大クープラン と呼ばれるフランソワ・クープラン の作品集を中心に、彼の伯父にあたるルイ・クープラン 、従弟の息子にあたるアルマン=ルイ・クープラン の作品が収められている。 演奏者の崎川晶子は桐朋学園とパリの古楽コンサルヴァトワールで学んだ人で、ソロCDだけでなく、渡邊順生との協演CDでも知られているだろう。「昨年の晩夏の午後、お城の中で静かに演奏しました」という彼女のコメントが印象深い。

石丸裕実子(音楽現代2020年9月号・推薦)
クリスティアン・クロルによる18世紀の楽器を用いて、3代にわたるクープラン 家の作品を収録。崎川の演奏はその歴史を繊細かつ明確に提示している。ルイの作品では、彼特有の素朴な美しさを際立たせるかのようなシンプルな表現が全面に出される。一方フランソワの作品では、ふんだんに用いられる装飾音の華やかな指さばきや、自然なイネガル奏法等により、きらびやかな音楽が描かれる。最後のアルマン=ルイによる作品では、華やかさよりも陰影の部分が強調される。ルイを日の出に例えると、フランソワは高く登る太陽で、アルマン=ルイは美しく燃える夕陽なのだ。フランス・クラヴサン楽派が活躍した黄金の100年を俯瞰するかのような一枚である。

美山良夫(レコード芸術2020年8月号・準特選盤)
大聖堂で知られたシャルトルの美術館には、かつてリヨンの名工クリスティアン・クロルが1776年に製作した素晴らしいクラヴサンが寄託され、演奏やレコーディングに供されていた。その楽器は、いまパリ北西部の城館に置かれている。重くないが強さをもった低音に対し、高音は透明でこぼれるような艶やかさを備え、抗しがたい魅力と個性を持った楽器だ。この楽器でラモーを録音したことがある崎川晶子が、今度はクープラン 家3人の作品を演奏している。一族とはいえ、17世紀半ばのルイ、18世紀前半のフランソワ、半ばのアルマン=ルイと、創作時期は異なり、書法もそれぞれの時代を映している。
冒頭曲のルイ・クープラン によるプレリュード・ノン・ムジュレは相異なるスタイルを連結した作品だが、即興性をとどめた部分と対位法的な部分とのコントラストを図るのではなく、各部分の均衡調和を志向する。嬰ヘ短調の長大なパヴァーヌでは、内省よりも親密な表情を紡ぎ出す。標題をもつ作品を軸に、2つのオルドル「組曲)から抜粋したフランソワの作品は、しっかりした足取りのテンポの上に品格をもった演奏が展開される。フランス革命直前に事故死したアルマン=ルイによる3曲は、すべて1751年の曲集に含まれた作品で、フランソワとの違いを浮き立たせる外向的表現、技巧性を、演奏が見事に描きだす。こうした多様性を、この類い稀な楽器の個性が貫いて輝く。聴きどころに満ちた一枚だ。

矢澤孝樹(レコード芸術2020年8月号・準特選盤)
バッハ一族に焦点を当てた盤は汗牛充棟だが、クープラン 一族についても、もっとあっても良い。ルイ、フランソワ、アルマン=ルイの3人については、クラヴサン音楽の達人という共通項があるのだから。崎川晶子の新盤は、まずその点で大いに歓迎される。三世代の作曲家を通じ私たちは、ルイ14世期の荘重雄大な様式、その末期からルイ15世時代初期(摂政時代)のロココへの変化、さらにその後の啓蒙主義とデカダンが入り混じるブルボン王朝晩期の空気を味わえる。しかもマントノン夫人が住んだこともあるヴィラールソー城を録音場所に、クリスティアン・クロル1776年製のクラヴサンを用いる贅沢な趣向。クロルの楽器を豊潤に鳴らす演奏は、ルイ・クープラン のノン・ムジュレのプレリュードから湧き出るファンタジーをしっかり受け止める。この冒頭で醸される空気は、あたかもクープラン 一族の不動の気質のように、アルバムの最後まで、受け継がれて行く。フランソワのパートがポルトレ(音の肖像画)は十分含む一方、《クラヴサン奏法》の〈プレリュード〉で始まり、〈パッサカイユ〉で終わる構成で、前時代からのつながりを感じさせるのも一因かもしれない。そしてアルマン=ルイ共々、予想以上にじつくりと重めの足取りだ。一族の栄光と高貴を十分に堪能させる充実した演奏。ただ、三世代のキャラクターがより強調されることで、この時代の音楽にこれから親しむ聴き手への扉はさらに広がる、とも感じた。

寺西 肇(月刊ぶらあぼ2020年8月号)
1776年にパリの名匠、クリスティアン・クロルの手で製作されたクラヴサン(チェンバロ)。2008年に丁寧な修復がなされ、本来の豊かな響きを取り戻した。名手崎川晶子が、この銘器に14年以来再び対峙。"大クープラン "ことフランソワを軸にその伯父にあたるルイ、従甥アルマン=ルイと、華麗なる音楽一族の佳品を弾いた。自由ながら折り目正しく、感情豊かにして理知的。相反する要素が多層的に織り込まれ、多彩な色彩に溢れた音の花束。崎川はクロルのオリジナル楽器ならではの、底鳴りする低音から煌めく高音までを鳴らし切り、これらの機微をつぶさに掬い取ってゆく。

安田和信(モーストリークラシック2020年9月号)
「よく考えられたプログラムでクラヴサン音楽の伝統を知る」 ルイ、フランソワ、アルマン=ルイの3代にわたるクラヴサン音楽を1770年代、クリスティアン・クロル製作のオリジナルで、パリ近郊ヴィラールソー城にて演奏。楽器の音自体が非常に魅惑的(あまり残響がないのも良い)だが、演奏者自身の確かな技巧に裏打ちされたセンスも相乗効果を生んでいる。フランソワの肖像画で楽譜が描かれた表題曲を中ほとに置いた、よく考えられたプログラムはクラヴサン音楽の豊かな伝統も知ることができる。


『アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳』崎川晶子(チェンバロ)

西原稔(毎日新聞2011年8月24日夕刊「私の3枚」)
多様な各作品を揺ぎなく捉え、その演奏は優美さと気品を感じさせる。

濱田滋郎(レコード芸術2011年9月号・特選盤)〈本誌画像〉
何年か前だったろうか、崎川晶子が渡邊順生と組んで入れたモーツァルトの「フォルテピアノ・デュオ」がレコードアカデミー賞に浴したことは記憶に新しい。ほかにもレコーディングのある彼女だが、このたびはルッカース・モデルによるアントニー・サイディ製作のチェンバロとともに、「アンナ・マッグダレーナの音楽帳」からの抜粋を聴かせてくれる。(中略)崎川晶子は精確さとともに優美な落ち着きとあたたかさをもって奏で、すこぶる佳い雰囲気をかもし出す。この曲集にとって理想の演奏と呼べるほどに。

那須田務(レコード芸術2011年9月号・特選盤)〈本誌画像〉
崎川晶子による「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」。久しく同音楽帳の優れたディスクが出なかっただけに、同音楽帳の2つの巻の鍵盤曲から編まれた当盤はまさに待望のアルバムである。(中略)崎川の演奏にはしっとりとした落ち着きがあり、フレージングも歌の魅力に溢れてバッハの新妻アンナ・マグダレーナへの愛の贈り物にふさわしい、親密さややさしさを感じさせる。
第3番の<サラバンド>は嫋々として味わい深く、繊細なニュアンスと陰影に富む。今でも子どもたちに愛奏されている、ベツォルトの2つの<メヌエット>は大人の指と心で弾かれ、ふくよかな情感とともにアンナ・マグダレーナその人の演奏を彷彿とさせてくれるし、C・P・E・バッハの小品もメリハリの効いたリズムや表現とともにやんちゃな息子の面影が偲ばれる。

安田和信(MOSTLY CLASSIC 2011年10月号)〈本誌画像〉
〈バッハの2番目の妻のために編んだ音楽帳の12曲〉
日本を代表するチェンバロ•フォルテピアノ奏者の一人が、バッハが2度目の妻のために編んだ音楽帳(その2冊目中心の選曲)から12曲を演奏。フランス組曲第5番、パルティータ第3番と第6番の初稿といった大作のみならず、単独の小品(いわゆる「バッハのメヌエット」のような他人作を含む)も含む。18世紀中頃、フレンチ仕様に改造したルッカースのコピーという仕様楽器の非常に豊かな音量と特徴的響きは、録音でも明瞭にわかる。

読売新聞サウンズBOX(読売新聞)〈本誌画像〉
「フランス組曲第5番」「パルティータ第3/第6番」のほか「メヌエット」などの小品9曲。崎川晶子のチェンバロ演奏は細部まで綿密に磨きあげられ、流麗で拡張高い。使用楽器の響きにも洗練された味わいが感じられる。


『モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ Ⅱ』

濱田滋郎(レコード芸術2008年11月号・特選盤)〈本誌画像〉
2006年度器楽部門レコードアカデミー賞受賞を得たCD「モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ」の続編を、前作に続き渡邊順生、崎川晶子のコンビが発表した。~ 省略 ~
今度の一枚は片やヨハン・アンドレアス・シュタイン製、片やアントン・ワルター製と2種のフォルテピアノを使用していることが特筆に価する。2台のピアノのための楽曲として、《ラルゲットとアレグロ》変ホ長調、《ア ダージョとフーガ》ハ短調、《自動オルガンのた めのアダージョとアレグロ》また 4手連弾曲としてソナタハ長調、《自動オルガンのためのアンダンテ》が弾かれており、さらに1曲独奏(渡邊)によ る《ロンド》イ短調も加えられている。シュタインを用いたこのロンドが機微を心得た演奏によってじつに佳く、当CD中の白眉と呼んでも良いほど ~ 省略 ~
2台のピアノ作品、連弾作品とも、各曲それぞれの味わいを最高度に生かした秀演、佳演揃いで、前作にお劣らぬ感興を与えられた。~ 省略 ~

那須田務(レコード芸術2008年11月号・特選盤)〈本誌画像〉
レコードアカデミー賞器楽部門受賞の《モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ》 の続編。今回はなんとニュルンベルクのゲルマン博物館との共同制作で、同博物館所蔵のシュタイン(1788年)とヴァルター(1790年頃)のオリジナル。ともにモーツァルトのピアノとして名高く、世界中でこの二人の製作家の複製が演奏や録音に用いられていることを考えれば、これがいかに破格の企画かがお分かりいただけるであろう。
さて演奏は…。何よりも音色がいい。艶があって奥深い響きがする。その上、博物館内における自然な響きが良く捕らえられた録音が良い。~ 省略 ~
2台ピアノのための《ラルゲットとアレグロ》のアレグロやK.546《アダージョ》の凝縮されたエネルギーには凄まじいものがあり、《フーガ》のスリリングな展開にはどきどきさせられる。そして渡邊がシュタインで弾いた《ロンド》イ短調は霊感 と気品に満ちた秀演。その他息の合ったアンサンブルを聞かせるハ長調の連弾ソナタや《自動オルガンのためのアンダンテ》など聴き所が多い。華奢で繊細なシュタイン、柔らかくて力強いより未来 志向のヴァルターと音色や性格の違い は瞭然。~ 省略 ~


『光のしずく』

那須田務(レコード芸術2006年1月号・準推薦盤
今月は現代作曲家の作品集を2点聴いた。「器楽」の当欄で扱うことと関係があるのか、いずれもシリアスな現代音楽ではなく、POPな感触を持った、親しみやすい作風とサウンドによる音楽である。これは、チェンバリスト崎川晶子のために書き下ろした「夢見る翼」に続く上畑正和の作品集。今回は上畑自身による リード・オルガン(足踏みオルガン)のほか、崎川のチェンバロ、橋本薫明の鳳笙、亀井真知子のハンドベルによる演奏である。「光のしずく」は扉が開いたような、笙とリードオルガンの響きの上に舞い降りる、チェンバロのパッセージが印象的だ。「白壁の町」とはどこのことだろう。チェンバロと笙とハンドベルの眩い響きに続いて、チェンバロが親しみやすいメロディーを奏でる。この白い壁の家屋が立ち並ぶ町は、このCDをかけるごとに現出する時空を超えた幻とでもいうように、どこか儚げで悲しい。それは「こもれび」も同様。リードオルガンは時にシリアスな楽器にも手回しオルガンのようにもなり、シャンソンのような調べが聴こえる「GALLE」は思いのほかドラマティックだが、概してそのサウンドは親しみやすく、1枚のアルバムを通して不思議なハーモニーと旋律に彩られている。まさに上畑ワールド一色。それらを、作曲者を含む4人の音楽家が内面的かつ燃焼度の高い演奏を繰り広げている。


『モーツァルトその光と影(フォルテピアノによるソナタ集)』
 フォルテピアノ:崎川晶子

濱田滋郎(レコード芸術2006年6月号・特選盤)
先般、渡邊順生とのフォルテピアノ・デュオにより、非常に見事なモーツアルトをCD上に披露した崎川晶子が、今度は単身でここに登場した。ソナタを3曲、ファンタジーを1曲。おそらく今最も気分よく、気合を込めて弾けるのであろう曲目を揃え、おのずと充実したリサイタルを彼女は繰りひろげる。『モーツァルトの光と影』と題しているが、ニ短調の幻想曲(k,397)からイ短調のソナタへ、そしてヘ長調(k.533,k494)を経てイ長調《トルコ行進曲付き》のそれへと、一枚のアルバムにモーツァルトの多彩なパトスのあり方を映し出すには、まことに有効かつ有意義な選曲が成されている。
演奏ぶりは楽器―ちなみに、使用のフォルテピアノはフェルディナンド・ホフマン(1790年頃ウィーン)の性能、特質を生かしてデリカシーに富んでいるが、いっぽうたんに古雅な雰囲気の内に遊ぶという性格のものでもなく、随所に清新な覇気を、積極的な生命感の発揚をも感じさせる演奏となっている。すなわち、k310に盛られている劇的なものは、哀切な物と相まって、見事に表出されている。ヘ長調ソナタの高度な構築性と遊びの精神の兼ね合い、イ長調ソナタの親しい優しさと天才ならではの創意が綾なす意匠、いずれも鮮やかに、姿よく弾き表されて言うところがない。k331の第一楽章など、この快適さにおいてならば、主題のみならず各変奏ともリピート入りで、さらにじっくり味わわせて欲しかったかな、と思われたほどである。
フォルテピアノによる、という処に寄りかからず、奏者の音楽づくり、モーツァルトとの呼応の確かさ、深さによってこそ光る1枚にほかならない。

那須田務(レコード芸術2006年6月号・特選盤)
先ごろ、渡邊順生とモーツァルトのクラヴィーア・デュオやチェンバロによる現代作品の『夢見る翼』がリリースされた崎川晶子によるモーツァルト・アルバム。使用楽器は渡邊氏のホフマン(1790年頃)。渡邊氏とのデュオや4手連弾を通じてこの楽器の特質を知り尽くしそれを生かし切っている。エレガントで知と情のバランスが取れた演奏をする方だと思うのだが、《ソナタ》イ短調の第1楽章は、思いのほか激情を迸らせて驚かされる。
第2楽章は穏やかで澄んだ響き。終楽章もテンションの高い激しい攻めの演奏だ。
《ソナタ》ヘ長調k533+k494は多様なアーティキュレーションと迫真のデュナーミクが、このソナタの多分に見過ごされがちな起伏に富んだドラマをスリリングな感興とともに聴かせている。即興的な装飾音をあまり弾かないのはこのモーツァルトの特徴といえる。また、歌謡的な旋律の美しい緩徐楽章では多様な和音それぞれの個性的な色合い(古典調律の強みだ)や変音装置(モデレーター・ストップ)が演奏に現代のピアノでは味わえない奥行きとカラフルな色彩感をもたらしている。K330は変奏曲の繰り返しをしないのはひとつの解釈なのだろうが、音楽的なバランスの点ではどうだろうか。とはいえ、このソナタも率直勝つ自在に、情緒豊かに奏でられた佳演である。


『モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ』

濱田滋郎(レコード芸術2006年1月号・特選盤)
チェンバロのみならずフォルテピアノの演奏に関しても日本有数のエキスパートである渡邊順生が、門下の一人、崎川晶子とデュオを組みモーツァルト作品を録音した。
2台のピアノのための周知の名品、『ソナタ』ニ長調k448、ロバート・レヴィンが補筆完成した、聴かれることの多くない《ラルゲットとアレグロ》変ホ長調、そして連弾のための主要作である《ソナタ》ヘ長調k497、《アンダンテと5つの変奏曲》ト長調k501を取り上げている。連弾曲においては崎川が第1ピアノ(高音側)、2台用の曲においては渡邊が第1ピアノを担当しているが,いずれにせよ二人の気息はぴたりと合っており、使用ピアノがいずれも1790年代のウィーンのフェルディナンド・ホフマン製であることも手伝い、なんとも純正な雰囲気を醸し出す。いつものように渡邊はみずから詳細な解題をブックレットに記しているが、2台のピアノのための楽曲について、普通に思われがちなように「家庭音楽」として書かれたのではなく、協奏曲と同じようにコンサート用であることを意識して書かれたというのは説得力十分。しかも、それを机上の論には終わらせず、実際に演奏をもって示してくれるのだから、この説の正しさもはや疑うべくもない。ニ長調k448のソナタは、すなわち、堂々と、スケール感豊かに弾き切られている。フォルテピアノの減衰の早い音の性格を逆に生かし、歯切れの良い、かえって間の妙味に満ちた奏楽を聴かせるところは、まさにスペシャリストたちである。
この名作にはモダン・ピアノによる名演もあるにはあるが、「本物はこれなのだ」とつくづく感得させる当盤のような演奏は、格別に貴重なものと言うほかない。

那須田務(レコード芸術2006年1月号・特選盤)
渡邊順生と崎川晶子がホフマンによる2台のオリジナルのフォルテピアノで存分にモーツァルトを楽しんでいる。フェルディナンド・ホフマンはウィーンの宮廷楽器製作者だった人。
2台とも名器である上に楽器が健康な状態で、しかも、1台は1790年頃の5オクターヴ、もう1台は1795年頃の5オクターヴ半と、同じメーカーながら若干タイプが異なる。 こういう楽器でモーツァルトの2台ピアノや連弾を録音できると言うのは、世界中を探しても非常に稀な、幸運なケースと言っていい。これは決して誇張ではない。これまで同曲のスタンダードだったビルソンとレヴィン盤もこれほどいい条件に恵まれなかった。
しかも、渡邊、崎川両氏はそれぞれ音楽家として目下、知情意+技ともに充実した時期にあり、その上長年デュオを組んできただけあって、よい演奏の生まれる条件が揃ったといえる。連弾で崎川が2台ピアノで渡邊がそれぞれ1番を受け持っている。モーツァルトのピアノ・デュオをモダンのピアノで演奏すると、どうしても音量や表現が控えめになるし、残響のコントロールもむずかしいが、ダイナミックなビート感や生き生きとした躍動感に支えられたアンサンブルは本当によく合っているし、気持ちがよいほど思いきりがよい。そしてホフマンの音色のすばらしさ!その光沢や艶と深みは何ものにも代えがたい。2台ピアノの曲はもちろんのこと、モーツァルトの連弾曲は決して小市民的な慎ましやかな音楽ではない。多彩な情念と音色に彩られて大変に聴き応えがあり、ドラマに満ちた音楽であることを教えてくれる。

海老澤敏
(「モーツァルトの響きの世界に無限に近く肉迫する -異色のCDを聴いて」)

渡邊順生さんはまことにユニークな鍵盤奏者である。優れた演奏技術とまた深い知識を兼ね備えつつ、2世紀も3世紀も前の遠いクラヴィーア音楽の遥かな世界を一瞬のうちにおのれのものとする。古いはずのチェンバロやフォルテピアノは彼にとってまことに身近か現代の楽器なのだ。今回の崎川晶子さとの「モーツァルト・フォルテピアノデュオ」でもこの印象はますます鮮明、否、鮮烈でさえある。フォルテピアノなる楽器に関する該博な知識に裏づけられたそのモーツァルト演奏は、おそらく初めての聴き手をたじろがせるにちがいない。だが、しばらくすると、いや、すぐにもその響きの只中に、モーツァルト、そう、このCDの主人公のモーツァルトが微笑みを浮かべながら、姿を見せるかのような思いに誰でも捉えられることだろう。
そうだ。2006年のモーツァルト、彼の生誕250年の記念すべき年に、この渡邊順生さんと崎川晶子さんの息の合ったピアノデュオにまず何よりも先に聴き入ろう。


『夢見る翼』

那須田務(レコード芸術2006年1月号・準推薦盤
実に不思議なアルバムである。すべて崎川晶子のための新作。ここで少し作曲家の上畑氏について紹介すると、「CM音楽の作曲を中心にさまざまな アーテイストやサントラ等の作編曲、プロデュースを手がけている。最近はピアによる自己 表現」に目覚め。POPなメロディと美しい響きを取り入れ いつも傍に置いておき たい音楽を目指している」という。~ 省略 ~ 
1曲目の「深い霧の奥へ」からしっかりチェンバロの響きがしている。 もちろん使われている音は新しいのだが響きがチェンバロらしいのだ。~省略~
バロック的なダイナミズムを感じさせる《六月の舞踏会》という曲や、バレエ音楽 としても使えそうな《黒いマントの男》、情熱的で即興的な《即興曲 スペイン》。 そして彫刻家八木ヨシオさんの作品「孵化するニケ」からインスピレーションを 得たという《NIKE》後者では卵からニケが孵化して飛んでいく様子を想像させ る。おもちゃ箱のようなアルバム。これも21世紀的チェンバロの楽しみ方。


■ レコード・アカデミー賞とは?
 「レコード・アカデミー賞」(音楽之友社主催)は、各年度(1年間)に日本のレコード会社から発売された(直輸入盤も含む)クラシック・レコードを9つのジャンル(交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、器楽、声楽、オペラ、音楽史、現代音楽)に分け、各部門担当の選定委員の合議により、それぞれのジャンルの年間ベストワンのディスクに与えられる賞です。さらに、それら9点のディスクの中から、選定委員全員の投票によって「レコード・アカデミー大賞」と銀賞・銅賞の受賞ディスクが決定されます。9つのジャンルの他に、3つの特別部門も設けられています。  2006年1月新譜としてリリースされた私共の『モーツァルト:フォルテピアノ・デュオ』のディスクが、2006年度のレコード・アカデミー賞を器楽曲部門で受賞したという報を聞いた時には、とても信じられない思いでした。器楽曲部門は、全ピアノ曲(二重奏と四手連弾を含む)、チェンバロ、ハープ、ギター等の独奏曲、ヴァイオリンやチェロ、フルート等の無伴奏曲を含み、発売されるCDの数は他の部門に比して圧倒的に多いカテゴリーです。その部門で、2台ピアノと四手連弾という地味な分野における当ディスクが受賞の栄誉に浴したことに対しては、選定委員諸氏と音楽之友社に謹んで御礼申し上げたいと思います。フォルテピアノによる演奏では、過去に、室内楽(ヴァイオリンとの二重奏)と歌曲伴奏という2つの例はあるものの、ピアノ音楽の領域で初の受賞となったことも光栄の限りです。  モーツァルト・イヤーという特別の年にモーツァルト作品のCDは山ほど世に出ましたが、今回受賞したのは、アンネ=ゾフィー・ムター、アンドレ・プレヴィンらによるピアノ・トリオ(室内楽曲部門)と当ディスクの2点のみでした。