チェンバロ(イタリア語、ドイツ語)
…クラヴサン(フランス語)、ハープシコード(英語)

チェンバロの音を出す仕組みは鍵盤の後ろ端にジャック(平たい細長い棒)が乗っており、そこにプレクトルム(昔は鳥の羽軸,現代ではプラスティックが多い)が付いていて下から弦をはじく。
ラテン語のキュンバルム、ツィンバルムという言葉はシンバルやティンパニなどの打楽器とプサルテリウム、ダルシマーなどの弦楽器両方に用いられていた。チェンバロはプサルテリウムに鍵盤をつけ弦をはじいて音を出すようにした楽器でクラヴィツィンバルムと呼ばれ、そこから各国の呼び方に定着していった。 現存する最古のチェンバロは南ドイツのウルムで1480年頃に製作された作者不明のクラヴィツィテリウムである。製作者と製作年代が記された最古のチェンバロはフィレンツェのヴィンチェンティウスが1515年から1516年にかけて作ったものである。
チェンバロは合奏の中で通奏低音を受け持つ伴奏楽器として使われていたが、17世紀から18世紀にかけて数多くのチェンバロのための樂曲が作曲され黄金時代を迎えた。
18世紀の終わりから19世紀の初めにかけてフォルテピアノが一気に台頭し、鍵盤楽器の王者の地位を追われるが、20世紀に入ってからランドフスカ女史によって見なおされ,レオンハルト氏らによってオリジナル楽器の演奏スタイルが研究され,チェンバロという楽器とその演奏が見事に復活した。

クラヴィコード

クラヴィコードは有弦鍵盤楽器の中では最も古く14世紀ごろから使われており、16世紀にはヨーロッパ全土に普及した。 小型で安く、持ち運びも簡単なためどこでも目にするような楽器であった。
18世紀の後半、ドイツでは音域が拡大された大型のクラヴィコードが盛んに作られるようになり、バッハの息子達によりクラヴィコードのための独奏曲が多数書かれた。
バッハの息子、カール・フィリイップ・エマヌエルはその著書(正しいクラヴィーア奏法試論)の中で「よいクラヴィコードは音の美しさではフォルテピアノに劣らないし、ベーブング(鍵盤楽器で唯一ヴィヴラートをつける奏法)やポルタートが出来るという点ではフォルテピアノより優れている。
鍵盤楽器奏者の能力をもっとも正確に判断できるのはクラヴィコードである」と言っている。
鍵盤の後ろのほうに立てられたタンジェント(真鍮で平たい棒のようなもの)で弦を下から打って音を出す楽器で、音は繊細だが、感情の陰影を映し出し,ニュアンスと色彩の変化に富む表現がとても豊かに出来る楽器である。

フォルテピアノ

フォルテピアノとは現代のピアノと区別して、18世紀頃から作られた歴史的ピアノのことを指す。 フォルテピアノとして作られた一番古いものは,イタリアのクリストフォリが1700年頃作ったものである。(その時の名称はアルピチェンバロ又はグラーヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ弱音と強音の出る大きなチェンバロの意)
ドイツではゴットフリート・ジルバーマンがフォルテピアノを開発し、1732年ザクセン選帝侯に献上した。このときのフォルテピアノは欠点が多く改良に苦心したようである。
1745年にフリードリッヒ大王にささげたフォルテピアノは大王に大層気に入られ、プロイセン宮廷に15台も買い上げられた。
1747年J.S.バッハはポツダムのフリードリッヒ大王の御前で有名な「音楽の捧げ物」の第一曲を即興演奏した。このとき弾いたのがジルバーマンのフォルテピアノである。
シュタインは18世紀後半の最も優れた制作家の一人で、モーツァルトは1777年に彼の工房を訪ね彼のフォルテピアノがそれまで知っていた楽器に比べ、あまりに素晴らしいので感銘を受ける。シュタインの楽器は値段が高かったため買うのを諦め、1782年ウィーンでアントン・ワルターのフォルテピアノを購入した。この楽器は現在、ザルツブルグのモーツァルト博物館に残っている。
フォルテピアノの特徴は現代のピアノに比べ音の立ち上がりがシャープで、減衰も早く、透徹した響きと木質の暖かな響きを持つ。低、中,高音域それぞれの音の特色がはっきりしている。繊細なタッチにより、弱音に向かって豊富なニュアンスや陰影を引き出すことが出来、多彩な表現が可能である。

参考資料: ニューグローヴ世界音楽大事典 「チェンバロ・フォルテピアノ」 渡邊順生著

レコーディングに使用した楽器について

◎「モーツァルトの光と影」
☆Ferdinando Hofmann(c1790)渡邊順生氏所蔵
フェルディナンド・ホフマン(1756-1829)
1784年にウィーンでマイスターになり、精力的にフォルテピアノを作っていた。その姿勢は創意工夫に富んでおり当時の偉大な楽器製作家シュタインの楽器に独自の工夫をくわえている。ホフマンのフォルテピアノは音色の美しさでも群を抜いており、シュタインのピアノより力強くしかも柔らかく広がりがあり、ヴァルターよりは軽やかである。
まさにモーツァルト時代のフォルテピアノと言うのにぴったりの、ホフマンが製作した1780年代の半ばから後半にかけての数台のうち6台は現在も残っており非常に貴重な資料であると共に、この時期のウィーンのピアノの音色に対する好みがピアノのアクション機構とともに伝えられている。
(「チェンバロ・フォルテピアノ」渡邊順生著より)

◎「モーツァルト・フォルテピアノ・デュオ」
☆Ferdinando Hofmann(c1790、c1795) ―フェルディナンド・ホフマンのタイプの異なる2台―
ホフマンはウィーンのピアノ製作家の中では特に優れた一人で1808年にはウィーンの「鍵盤楽器製作者組合」の長となり、1812年には「宮廷付き鍵盤楽器製作家」の称号が与えられた。 当時のウィーンのフォルテピアノには二つのタイプがあった。 第1のタイプは反応が極めて敏感で透明感のあるはっきりした音色を持っている。シュタインのピアノはこのタイプの典型で、ホフマン(1790年の方)はこのタイプに属する。 第2は響版の反応の敏感さを少し抑えて弱音を出しやすくしたピアノである。音色は第1のタイプより少し曇った感じだが、聞こえるか聞こえぬかの瀬戸際のようなぎりぎりの弱音が出せるので、ダイナミック・レンジが広くなる。 このCDでは18世紀のウィーンのピアノの2つのタイプの音色を比較可能な形で収録しているという点で極めて資料価値の高いものである。
(CDのブックレットより)

◎「J.S.バッハ イタリア協奏曲、フランス風序曲、2台のチェンバロのための協奏曲他」
このCDの演奏には3台のフランス様式の二段鍵盤のチェンバロが使用されている。
☆アンソニー・サイデイ:パリ1996年〔モデル:アンドレアス・ルッカース作のチェンバロ(アントワープ、1636年)を
 パリのアンリ・エムシュが1763年に拡大改造したもの〕
☆デヴィッド・レイ:パリ〔モデル:フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ、パリ1733年〕
☆マルティン・スコヴロネック:ブレーメン1990年〔モデル:ニコラ・ルフェーブル、ルーアン、1755年〕

サイデイは1942年に生まれたイギリスの製作家でパリに長く住むうちに17世紀~18世紀のオリジナルのチェンバロの魅力にとりつかれ、最近は綿密なレプリカを長時間かけて作っている。彼が楽器のモデルとして選ぶのは、自ら修復したか、或いは自分の工房で丹念に調べ上げた楽器のみである。彼は単に17~18世紀のモデルに忠実なだけではなく、オリジナルの楽器の木目の間にまで製作者の製作思想を読み取ろうとするような徹底した製作姿勢には、余人の追随を許さないものがある。
デイヴィッド・レイはアメリカ人だが長い間パリでチェンバロ修復家ユベール・ベダールのもとでアシスタントを務めた。レイは1733年のブランシェのチェンバロをコピーした際、オリジナルで鳥の絵が描かれていたところも全てサルの絵にしたので,「モンキーチェンバロ」と呼ばれている。
スコヴロネックは現代の製作家としては、殆ど伝説的といって良いほどの名声を獲得した。 1950年代から、歴史的チェンバロの製作を始め,レオンハルトのために1962年に製作した楽器が広く知られるようになり、ピーク時はウエイティングリストが30年に達したと言われる。彼の製作姿勢は極めて芸術家的で、素材である木の特性を観察しながら、インスピレーションが湧くとその場で楽器のデザインを変更してしまうような、いわば即興的な作り方をする。彼は決してモデルとしたオリジナルの正確なレプリカは作らないが、それは、楽器は生き物であり、生き物はコピーできないと言う彼の信条に基づくものだ。
彼の楽器には彼自身のパーソナリティが色濃く顕れているが、それはオリジナルの楽器についての豊富な知識と経験に支えられてきたものである。

この3人の製作家は現代のチェンバロ製作において、特別な位置を占める人たちである。
彼らの作るチェンバロが、楽器―すなわち音楽をするための道具として極めて優れていると言うだけではない。彼らは、いずれも、17~18世紀に製作されたチェンバロの調査、研究、修復などを通じて、オリジナルのチェンバロについての深い知識と経験を持ち、彼らの作ったチェンバロの音からは、モデルとしたオリジナルの製作者たちの意図,その背景となった時代が見えてくる。それは丁度、優れた演奏家の演奏から、作品の真実と演奏家の個性の緊密な結びつきが聞こえてくるのとよく似ている。(CDのブックレットより)